効率化と結果主義の現代ではどんどん感性が育たなくなっている感じがします。日本にはとても感受性豊かな文化があったのにこれは本当にもったいないと感じてしまいます。子どもの感受性を伸ばすヒントを紹介します。
雨の呼び名がたくさんある訳
これから子ども達が生きていく時代は、自分なりに感じ表現することがますます大事になってくると思われます。表現とは何もアート活動だけではなく、言葉にする写真にとるといったことも含まれるでしょう。
その点日本に住んでいるということは恵まれていることもあります。例えば、雨を日本人はさまざまに表現してきました。大雨や夕立といった今でもよく言葉だけでなく、喜雨(長く続く日照りのあとに降る雨)、洒涙雨(七夕当日の雨)、村雨(すぐやむ雨)、のように、どんな降り方をするのか、いつ降るのか、どんな雨なのか、などによってさまざまな呼び名をつけてたんですね。
ほんと昔の人の感受性の高さに脱帽します。私にとって雨といえば、雨かゲリラ豪雨くらいのものですから感受性の低さを改めて自覚してしまいます。今はすたれているかもしれませんが、感受性豊かな文化が日本にはあったわけです。ラッキーですよね。
岩がぬれている
例えば、目の前にある岩が濡れていた、としましょう。
せっかく休憩のために腰掛けようと思っていたのに残念な気持ちになるでしょう。さて、この気持ちをなんと表現しますか。「不座岩」なんてどうでしょうか。
乾いているときの色よりも濡れていることで色が濃くなって存在感を感じることもあるでしょう。さて、この感じなんと表現しますか。「色重岩」なんてどうでしょうか。
想像力をだいぶ働かせると、お花に水やりをするように岩がのどの渇きをうるおしている、と感じる子もいるかもしれませんね。もしかしたら今いる場所から移動しようと力んでいて汗をかいている、と感じる子もいるかもしれません。
科学に関心がある子は、岩のでこぼこと雨風による浸食の関係性に目をむけるかもしれません。
ただ単に岩が雨等によって濡れていた、という目の前の光景を、濡れている、ですませないことはいくらでもできそうです。
感受性の花を咲かせましょう
ハイキングをしていたり、神社仏閣に参拝にいけば、濡れている岩にでくわすこともあるでしょう。そんな時には岩の前で少し足を止めて、親子で目の前の岩について話しあってみませんか。
親が時間をつくってあげることで、子どもの感受性が高まる機会になるでしょうし、言葉にする機会にもつながります。
別に足をとめて時間をとる対象は岩である必要は、もちろんありません。先ほどは雨を例に出しましたが、同じように風もたくさんの呼び名が日本にはありますし、色もそうですし、月もそうです。ぜひ子どもの言葉への感受性を高める機会をつくってあげてください。
まとめ
本ブログで紹介する222番目の非認知能力を伸ばす育児の金言は「言葉への感受性を高める」です。
親子の時間をつくり身近なもので感受性を高めて感じたことを言葉などで表現することの大切さを説明しました。せかせかしていても感じることはできません。ぜひゆっくりとした時間をもってあげてください。
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